田月仙(チョン・ウォルソン)CD
山河を越えて・高麗山河わが愛
オーケストラ伴奏による名曲集 PART1

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(曲目)

1. 山河を越えて

2. アリラン
3. イムジン江
4. 私には二人の息子がいた
5. 懐かしい金剛山
6. オペラ「ワリー」より「遠いところへ」
7. オペラ「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」
8. オペラ「トスカ」より「歌に生き愛に生き」
9. 川を越え春がくるように
10. 麦畑
11. 高麗山河わが愛
全11曲

 「田月仙(チョン・ウォルソン)名曲集 PART1」は、本場韓国でも聞くことのできない田月仙ならではのオリジナルコリアソングが、ヨーロッパの名門オーケストラの伴奏により歌われる待望のアルバムの第一作目。
 田月仙自らが作詞し、テレビでも紹介された「高麗山河わが愛」の日本語バージョン「山河を越えて」。著書「海峡のアリア」の最後に登場する「私には二人の息子がいた」。韓国でもっとも人気のある歌曲「懐かしい金剛山」。本場韓国の歌番組でも披露した「アリラン」。さらに田月仙(愛唱のオペラアリアも収録されています。


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2500円 希望者は田月仙の直筆サイン入り(※時間がかかる場合があります)


1 山河を越えて 산하를 넘어

作曲 노광욱  盧光郁(ノ・グァンウク) Rowe Kwang
作詞 田月仙(チョン・ウォルソン)Chon Wolson


南の国から 北の果てまで 
響き合う 懐かしい ふるさとのうた
東の空を 西の海を
眺めている みな同じ願いを込めて
とどけよ この思い 
風になり 鳥になり山河を越えて

 

2 アリラン 아리랑

コリア民謡

アリラン アリラン アラリヨ
アリラン峠を越えてゆく
わたしを捨てて往く君は
十里も往かずに足が痛む
蒼い空には星も多く
わたしの胸には悩みも多い

3 イムジン江(イムジン河)임진강

パク・セヨン 作詞
コウ・ジョンファン 作曲

イムジン江の清い水は 流れ流れ行き
水鳥は川を 自由に渡り 飛んでいくのに
私の母なる故郷へ 行きたくても帰れない
イムジンの流れよ 悲しみのせて流れよ

4 私には二人の息子がいた 나에게는 두 아들이 있었는데

チョン・チグン 作詞 パク・サンジュン 作曲

私には二人の息子がいたのに
一人は北側で人民軍になり
一人は南側で国軍になって
家を出て五十数年がたったのに
帰ってこない、帰らない
六二五動乱(朝鮮戦争)のとき
戦闘に巻き込まれ
互いに撃ちあったのだろうか
互いに殺しあったのだろうか
兄も弟も死にゆくとき
お母さんと呼んだことでしょう
目の中に入れても痛くない
二人の息子を一度に失った
私はこの国の悲しい母

5 懐かしい金剛山 그리운 금강산

ハン・サンオク 作詞 チェ・ヨンソプ 作曲

 誰の主宰であろうか 清く美しい山 
 懐かしい万二千峰 言葉は無くとも
 今こそ自由万民襟を正し
 その名を再び呼ぶ われらの金剛山
 数々万年美しい山
 行く事もできず幾年がすぎたか
 今日こそ訪れる日が来たのか!
 金剛山は呼んでいる
 
 懐かしい山の峰々 昔のままであろうか
 白い雲 そよ風も無心に行くのか
 足の麓に山海万里 見えるでない
 我々みんなの悲しみが癒える時まで
 数々万年美しい山
 行くこともできず幾年が過ぎたか
 今日こそ訪れる日が来たのか!
 金剛山は呼んでいる

6 オペラ「ワリー」より「遠いところへ」
"Ebben ne andro lontana" from "La Wally"

Liberto by Luigi Illica
Music by Alfredo Catalani

7 オペラ「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」
"Un bel di vedremo" from "Madame Butterfly"

Liberto by Giuseppe Gicosa Luigi Illica
Music by Giacomo Puccini

8 オペラ「トスカ」より「歌に生き 愛に生き」
"Vissi d'arte, vissi d'amore" from "Tosca"

Liberto by Giuseppe Gicosa Luigi Illica
Music by Giacomo Puccini

9 川を越え春がくるように 강을 건너 봄이 오도록

ソン・ギルチャ 作詞
イム・グンス 作曲

川を覆った氷はいつ解けるでしょう
荷を積んだ船が夜明けの霧をかきわけてやってくる
薄桃色の花束を胸に抱えて
川を越え明るい光が村におりてくる
川を覆った氷はいつ解けるでしょう
荷を積んだ船が夜明けの霧をかきわけてやってくる

10 麦畑 보리밭

パク・ファモク  作詞
ユン・ヨンハ作曲

麦穂ゆれる畑道を歩けば
誰かが呼ぶようで立ち止まってみる
思い出寂しく口笛ふけば
美しい歌が耳元に聞こえてくるよ
振り返ると誰も見えず
茜色の夕空だけが目にしみる

 

11 高麗山河わが愛
고려산천 내 사랑

盧光郁 ノ・グァンウク노광욱 作詞作曲

南であれ北であれ
いずこに住もうと
皆同じ 愛する兄弟ではないか

東や西
いずこに住もうと
皆同じ 懐かしい姉妹ではないか

山も高く 水も清い
美しい高麗山河
わが国 わが愛よ

 

 

田月仙(チョン・ウォルソン)の歩むところ



 この神経質な廃都の中で、田月仙ほどの巨(おお)きな女性とめくるめく歌声をわたしは知らない。
 初めて舞台の彼女を観たのは、お茶の水にある小さな会館であったが、舞台を一歩すすんだとたんに、張り詰めたヴァリアー(膜)を抜けるように、切るように、そのアウラが現前化してくると思った。
 1997年の<薔薇物語>のパンフレットには、両手をひろげた田月仙の写真が載っており、その止まった物腰は、果てしなく伸びやかであるが、それが、舞台で動き出すと、辺りを巻き込み、観客の目を釘づけにして、とてつもなくスケールの大きな世界へ引きずりこんだ。
 その歌声は、都市の細いビル裏にも潜りこむが、海にも向かい、対岸の異国を巡って散った花、暗雲、今も迷う人々の声とも重なっていく。そして、いつか、わたしは、歌っている彼女の足並、その足元に目が吸いつけられていた。
 その立ち姿は美しい。が、そのリュウとした立ち方よりも、彼女の思いが、何を踏みしめ、震えながら何に声をかけているのかが、その魅力を解く鍵であるように思えた。
 この歌い手は、歌いつづけるべき<座標軸>を探って歩んでいる。
 この度歌われている歌詞カードを読みながら、「朝つゆ」の終章を見ると、歩みのアンソロジーとなっている二行が目にとびこんできた。
 「さあ 行こう あの荒れはてた広野へ
  悲しみをすべて捨て 私は行く」
 その前の一行は、真昼の燃える暑さが、自分にとっての試練でもあるという。
 とつぜん、わたしは、ボードレールの詩を思い出した。それは、学生時代に読んで忘れられない一つの詩であったが、「ジャンヌ・マリー」という。
 「ジャンヌ・マリーの手は黒い
  夏が 焦がした
  黒い手だ」
 <文学と悪>の中に引用されていたこのミステイフイケートな一本の黒い手が、なんの実効性を持つのか分からなかったが、田月仙の歌うその声の中に現れるとなると、なんとも嬉しい<デ・ジャヴ>(即視の夢)を感じるではないか。
 つづいて「鳳仙花」の中にも気になるものが現れた。それは、夏の日に見た乙女たちのような花びらの、変わりゆく姿を述べたものだ。
 「美しい花びらをむごくも侵せしに
  花落ち老い果てた お前の姿いたわしい」
 これは、フランソワ・ヴイヨンの「去年(こぞ)の雪、今、何処(いずこ)」の復活でもある。
 そうしてみると、田月仙の歌う悲歌(エレジー)の源は秋風に吹き飛び、忘却されていくようなものではない。
 なにもないものの所へ、誰が行くものか。この歌姫は、荒れ果てた広野へ向かう。とすれば、その踏みしめる足元から、「むごさ」や「焦げつき」に耐えた幾つもの歌の芽が伸びてくるのであろう。
 聴衆よ、
 田月仙の腕に抱かれ、その歌声に悶死しなさい。

唐十郎(からじゅうろう)劇作家

 

 

 

Chon Wolson officilal Website www.wolson.com

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