田月仙(チョン・ウォルソン)ソプラノリサイタル

シリーズ「海峡のアリア」

田月仙(チョン・ウォルソン)が2007年から始めた
大好評のリサイタル「海峡のアリア」。
「あの感動をもういちど……」
アンコールのご要望や寄せられた多くの思いを
新たな歌に託して続けています。

 

ミュージックペンクラブ(MusicPenClub)の批評

海峡のアリア 田月仙(チョン・ウォルソン) ソプラノリサイタル パート5 ・・・・・藤村 貴彦
 田月仙は、我が国の人々に、あまりなじみの薄い朝鮮半島の歌を紹介し、今回のリサイタルでも異なるアリラン3曲が歌われた。この歌手の声の技巧と幅の広さを示すには、充分な物で、改めて彼女の芸の深さを感じたのであった。練りのきいた力強い声で、3曲とも歌い回しを工夫し、完全にアリランを自分の中に消化していたと思う。田は聴き手の心をしっかりとつかんでしまう。オペラのアリアの中では後半のマスカー二のオペラ『カヴァレリアルスティカーナ』より、「アヴェ・マリア」と「お母様も知るとおり」が良かった。田は役になり切ったように歌い、奥深い内面を真実
味を持って的確に表現していたのである。田の艶のある、そして朗々とした声は美しい。
 ピアノは朝岡真木子。しっかりと田を支えており、リサイタルを成功させた大きな力になっていた事は言うまでもない。
 竹島をめぐって、日本と韓国が揺れ動いている昨今の現状。政治に翻弄されることなく、文化交流、民間交流は活発に行われる事を望む。二度と朝鮮半島は「近くて遠い国」にしてはならないのである。田月仙が毎年リサイタルを行う理由はそこにあるような気がする。
 朝鮮半島の二つの国はいまだに凍てついたままだ。分断された悲劇の苦しみは、日本人にはなかなか理解ができない。キム・スン・ナムの歌曲を日本に紹介した私は朝鮮半島に関する本を買いあさった。以後、韓国に何度も足を運んだ。下関からプサンまでのフェリーの旅も楽しい思い出の一つである。海峡の青さは昔も今も変わらない。愛嬌のあるカモメが温かく迎えてくれるのも昔からの光景であろう。歌は人々の心を結ぶ。田月仙の活躍がさらに求められているのである。来年も「トウ・マンナムシダ」(また会いましょう)と少し習った韓国語のフレーズが会場を出ると自然に口から出た。海峡の両国の日誌には、常に異常なしと記されていなければならない。

 

 


 

リサイタル「海峡のアリア」の軌跡

田月仙(チョン・ウォルソン)は日本・韓国・北朝鮮の三カ国で歌ったオペラ歌手。
30年にわたり日本に朝鮮半島の歌を紹介するなど日韓朝を歌でつないできました。
リサイタルシリーズ「海峡のアリア」は、歴史に埋もれた歌を掘り起こし、
歌に込められた人々の気持ちに思いをはせ、それを再び自らの解釈で歌うというものです。
田月仙が執筆した自伝的著書
海峡のアリア」(小学館ノンフィクション大賞優秀賞)をきっかけに始めました。
http://www.wolson.com/books/Aria/wolson-Aria.html
田月仙の歌を通して、日本と朝鮮半島の100年の記憶が浮き上がってきます。

……2007年から始めた大好評のリサイタル「海峡のアリア」。
アンコールのご要望や寄せられた多くの思いを新たな歌に託して続けています。
どうぞご期待ください。

 

 

Part 1

 

 

 

2007年 小学館ノンフィクション賞を受賞した 
自伝的著書『海峡のアリア』は大きな話題になりました。
……そして海峡に埋もれた歌を歌う
『リサイタル 海峡のアリア』を始めました

 

 


 

Part 2

オペラ歌手・田さん 歌声で歴史振り返る

日本支配下の朝鮮に思いをはせて
あす日大カザルスホール

在日コリアン2世のオペラ歌手、田月仙(チョンウォルソン)さんが、韓国併合100年の今年、日本と朝鮮半島の歴史を歌で振り返るリサイタルを21日午後5蕗から千代田区神田駿河台の日大カザルスホールで開く。植民地支配下の朝鮮
に生まれ、幼いころに日本に渡り、苦労した亡者父母へめ思いも込めて歌う。

 リサイタルでは、植民地時代代に故郷を追われた人々の心を歌った曲や、政治的、歴史的な経繹で歌うことを禁じられた歌を披露する。全部で14働で解説が付く。


 たとえば「夜明けのうた」。田さんは1998年、東京都の親善大便としてソウルで公演した。当時、韓国では日本の歌への規制があり、童謡は認められたが、「夜明けのうた」は歌謡曲だとして許可されなかった。田さんは歌詞を歌わず「あーあい」とメロディーだけを口にした。
 田さんの家族も、歴史の激動にもまれてきた。父、石萬(ソクマン)さんは昨年末、81歳で亡くなった。戦時中、15歳で日本に渡り、工場で働かされた。亡くなる前、病床では話すことができなかったが、田さんがアリランを耳元で口ずさむと、うめくような声を出して歌ったという。田さんの兄は戦後、帰国事業で北朝鮮に渡り、スパイ罪に問われ収容所
で亡くなっている。
 田さんは「海をはさんだ日本、韓国、北朝鮮」隣国同士の関係をどう築いていったらいいのか。歴史を振り返り未来をみつめつつ、考えてみたい」と語る。

 

 


 

 

Part 3

 

ソプラノ歌手・田月仙リサイタル

 日本、韓国、北朝鮮の首脳の前で独唱した歌手は、世界広しといえどもこの人しかいない。

 日本と朝鮮半島の懸け橋となって歌い続けてきた在日コリアンのソプラノ歌手、田月仙が12日、東京・渋谷の白寿ホールで、リサイタル「海峡のアリア・パート3」を開く。

 日韓併合100年の年に合わせ、さまざまな運命をたどった曲がテーマだ。 

 リサイタルで歌う「鳳仙花(ほうせんか)」は、東京音楽学校(現東京芸大)に学んだ朝鮮出身の洪蘭坡(1897〜1941年)が、植民地時代の大正9(1920)年に作曲した。当時は朝鮮民族独立の象徴の歌とされたが、21世紀になると、今度は洪蘭坡が韓国で“親日派”のレッテルを張られ、糾弾の対象となった。 

「昭和17年に、日本に留学していたソプラノの金天愛が日比谷公会堂(東京)で歌い、感動の渦を巻き起こしたという伝説の歌。歴史に翻弄(ほんろう)されたが、歌詞がとても美しく、私もずっと大事に歌い続けてきました」と田は言う。 “親日派”への糾弾は、韓国の盧武鉉政権時代に始まった。「反民族的な行為」をしたとされる者のリストには、戦前・戦中に日本で活躍したテナー歌手、永田絃次郎(げんじろう)(1909〜85年)や、「半島の舞姫」崔承喜(1911〜69年)の名前もある。

 「当時は、所属していた組織自体が日本の傘下になっていたり、やむを得ないケースが多かった。民族の英雄ともたたえられた洪蘭坡さんは、名前を冠した音楽祭まで変えられてしまったのです。暗黒の時代を生きた芸術家が、死後数十年もたって、糾弾されるとは…。こんなおかしなことはありません」

 田自身も98年、まだ日本の大衆文化が禁止されていたソウルで、予定していた日本語の歌の許可が下りず、やむなく歌詞をつけずに母音だけで歌った苦い思い出がある。

 「そのころと比べると、すっかり様変わりしました。一部に制限が残っているとはいえ、韓国にはどんどん日本の大衆文化が公式に入ってくる。日本でも韓流ブームに沸き、Kポップ(韓国の流行歌)が街中にあふれています。在日コリアンとして、こんなにうれしいことはありません」

 リサイタル「海峡のアリア」も今回で3度目。「両者のはざまで生きてきた人間としてのライフワーク。音楽がどのような力をもって日本と朝鮮半島で歌い継がれたか。歌を通して当時の人たちの思いを伝えたい」と力を込めた。

 曲目はほかに「追憶」「恨五百年」など。

 

 


 

 

 

Part 4

 

 

再会願う歌 届ける


在日コリアンのオペラ歌手、田月仙(チョン・ウォルソン)さんが、来月二日に渋谷でリサイタル「海峡のアリア」を開き、都内暮らす福島県の被災者を招待する。

田さんは、朝鮮半島出身者が南北分断で翻弄された苦悩や希望を歌ってきた。故郷に帰れない被災者の痛みを自分の家族に重ね、「少しでも元気になってほしい」と願う。

 

 田さんは、立川市生まれの在日二世だ。一九八三年にオペラ歌手としてデビュー。二〇〇二年のサッカーワールドカップ日韓大会で日韓首脳の前で独唱するなど、「海峡を越えた歌姫」と称された。

 兄四人が帰還事業で北朝鮮に渡り、母親が苦しんでいたことを著書「海峡のアリア」で告白した。〇七年から同名のリサイタルを年一回開いている。

 大震災が起きたとき、エジプトにいた。革命の空気を肌で感じたくて、欧州での仕事に向かう途中に立ち寄った。ホテルのテレビに映った巨大な津波に寒気を覚えた。
 田さんは帰国後、車で福島県相馬市に向かう。少女時代、両親が事業に失敗したため、一家は田さんひとりを東京に残し、同市に三年間暮らした。一度だけ現地に母親を訪ねたが、当時の風景などは記憶に残っていない。約三十年ぶりの福島で被災者に「何か歌を届けたい」と思った。
 リサイタルのテーマは「祈り」。アヴェ・マリアのほか、「南であれ北であれ、愛する兄弟ではないか」と呼び掛ける「高麗山河わが愛」など、離別した人の再会を願う歌を披露する。最後に「ふるさと」を皆で歌う予定だ。「被災者の皆さんと少しでも痛みを分かち合うことができれば」と話した。

 

 

 


 

 

 

Part 5

 

「ふるさと」日本・朝鮮半島は「祖国」
歌で願う3国の平和 在日2世・田月仙さんリサイタル
(朝日新聞)

 南北朝鮮で舞台経験のある在日2世でソプラノ歌手の田月仙(チョンウォルソン)さん=新宿区=が三カ国の平和を願い、12日にリサイタルを開く。拉致や竹島、歴史問題などを抱えるが「歌で思いが共有できる瞬間がある」と信じ、日本と朝鮮半島の曲を歌う。

 

 田さんの両親は現在の韓国・慶尚南道出身。田さんは、朝鮮学校、桐朋学園短大を経てオペラ歌手としてデビューした。日本は「ふるさと」であり、朝鮮半島は「祖国」と考える。
 1985年、北朝鮮であった音楽祭に招かれ、故金日成(キムイルソン)主席の前で歌った。日本の大衆文化が開放され始める98年にはソウルで「赤とんぼ」など童謡を披露した。ただ、両国へのまなざしは複雑だ。
 4人の兄は50年代に始まった帰還事業で北朝鮮に渡り、政治犯収容所に入れられ、亡くなった。
 2002年に北朝鮮が拉致を認めた時の衝撃も大きかった。コンサート会場に被害者横田めぐみさんの両親がきた時は「私が歌っていいのか」と動揺した。日本での公演を控えた期間もあった。
 今年8月に李明博(イミョンバク)大統領が竹島に上陸した。9月には新大久保で「在日は出ていけ」と叫ぶデモを見た。
 様々な問題を抱え、時に反発し合う日本と朝鮮半島。田さんは自分にできることはなにか考えた。
 「平和への祈りを歌で表現したい」。歴史や政治のはざまで犠牲になり被害を受けてきた人たちに思いをはせ、強く思う。
 リサイタルではJR新大久保駅でホームから転落した人を助けようとして犠牲になった韓国人と日本人男性を追悼するためにつくられた「ふたりの海」、朝鮮民謡「アリラン」のメドレー、南北の平和を祈って作られた「高麗山河わが愛」など計16曲を歌う。

「고향」일본 한반도는 「조국」
노래로 기원하는 3개국의 평화

재일 2세·전월선씨 독창회 개최
 남북한에서 무대경험이 있는 재일교포 2세 소프라노 가수의 전월선(田月仙)씨= 신주쿠구=가 3개국의 평화를 기원하여, 12일에 리사이틀을 연다.
납치문제나 영토, 역사문제등의 어려움이 있지만「노래를 통하여 마음을 공유할 수 있는 순간이 있다」라고 믿고, 일본과 한반도의 곡을 부른다.
 전씨의 양친은 현재의 한국·경상남도 출신. 전씨는, 조선학교, 도호학원 음악대학을 경과해서 오페라 가수로서 데뷔했다. 일본은 「고향」이며, 한반도는 「조국」이라고 생각한다.
 1985년, 북한의 세계 음악제에 초대되어, 고 김일성주석 앞에서 노래 불렀다. 일본의 대중문화가 개방되기 시작하는 98년에는 한국서울에서 「고추잠자리」등 동요를 선보엿다. 단지, 양국을 보는 표정은 복잡하다.
 전월선씨의 4명의 오빠들은 50년대에 시작된 재일교포 귀환 사업으로 인하여 일본에서 북한으로 건너가고, 정치범수용소에 넣어져, 희생되엿다.
 2002년에 북한이 납치를 인정했을 때의 충격도 컸다. 콘서트 회장에 납치피해자 요코타메구미씨의 양친이 왔을 때는 「그들이 보는 무대에서 노래를 부를수잇을까」라고 동요했다. 일본에서의 공연을 삼가한 기간도 있었다.
 올해 8월에 이명박 대통령이 독도에 상륙했다. 9월에는 신오크보 에서 「재일한국인은 나가라!」라고 외치는 데모를 보았다.
 여러가지 문제를 안고, 때로 서로 반발하는 일본과 한반도.
전월선씨는 자신에게 할수있는 역할은 무엇인가 생각했다.
 「평화에의 바램을 노래로 표현하고 싶다」. 역사나 정치의 사이에서 희생 된 사람들을 생각하면서 평화를 호소하고싶다.
 리사이틀에서는 JR신오크보역에서 홈에서 추락한 사람을 구출하려고 희생 된 한국인과 일본인남성을 추도하기 위해서 만들어진 「두 사람의 바다」, 한국 민요 「아리랑」의 메들리, 남북의 평화를 기원해서 만들어진 「고려산천 내 사랑 (高麗山河わが愛) 」등 계16곡을 노래 부른다.

 

 

 


 

 

「海峡のアリア」コンサート 声なき声を 届けたい
日本と韓国のかけ橋として

近頃、国境付近が騒がしくなっています。しかし問題は冷静に理を尽くして外交的努力で。日本の侵略戦争と植民地支配によって隣国の人びとがどれだけ苦しみを味わったことか…。その事実を受け止め反省の上に立って、お互いをもっと知りあい仲良くやっていきたいものです。世界の舞台でオペラ歌手として活躍する一方、歌で朝鮮半島と日本のかけ橋になりたいと活動をする在日コリアンのオペラ歌手、田月仙さんの思いは−。

母や父の思いを伝えたい

 「とくに母が亡くなってからは母や父のこと、日韓の狭間で名もなく犠牲になってきた人たちの思いを、何かの形で残さねばと、全身全霊で『海峡のアリア』を書き、歌を通してそれを伝えなければという気持ちで、同じタイトルでリサイタルをつづけています」
 かつて日本の侵略戦争と植民地支配の下、朝鮮半島からたくさんの人びとが日本に強制連行されました。旧制中学に通っていた田月仙さんの父も、勤労動員で日本へ。幼い頃、親を訪ねて日本に渡った母は、学校にも行けず8歳から働きに出て、結婚後も廃品回収のリヤカーを押し、がむしゃらに働いた…。働きづめでも、時間を見つけては日本の民話や歌を聞かせてくれた母は、前夫との間の4人の息子たちが1959年から始まった在日朝鮮人の帰還事業で北朝鮮に渡ると、身を案じながら一生苦しみの中で亡くなりました(息子たちは日本のスパイ容疑で強制収容所に捕らわれ過酷な運命を強いられた)…。
「なぜこんなにいつまでも引き裂かれて、悲しみを背負っていなければいけないのか。叫びたくなるほどの気持ちになりました。韓国の古い歌には、母や見たちの患いが乗り移ったようなものもありましたから、コンサートで選曲しているうちに、わたし自身もこれは単なる歌ではなくて、母や父、わたしの出会った数多くの方たちの歌なんだと感じるようになって、祈るように歌うようになりました」

 二つの故郷

 最近は、とくに日本と朝鮮半島、"二つの故郷"という気持ちがつよくなってきた、と田月仙さん。85年に北朝鮮に招待され歌い、94年には韓国でオペラ『カルメン』に主演、南北で絶賛されました。
 「北も南もほんとうに愛する祖国なんだと思いましたけど、逆に日本をふり返ってみたときに、ほんとうにつらかった時期に支えてくれた日本の人びとのことが思われ、"わたしは両親の朝鮮半島のいろんなものを受け継いでいるけれど、日本にも育てられたんだ"と二つの故郷に対する愛がすごく深くなりました」
 ピアノと最初に出会った幼稚園のとき。ピアノを弾かせ、ほめてくれた先生。父は無理をしてピアノを買ってくれた…。ところが高校2年生のときに父の事業が失敗。夜逃げ同然の引っ越しの中、一人残って高校を卒業し音楽大学をめざします。お世話になった朝鮮人のハルモニ(おばあさん)。パブレストランでピアノの弾き語りや練習までさせてくれたバイト先のママ。ピアノの先生…。当時朝鮮学校は高校卒業資格がなく、願書を出す段になって受験できないとわかり途方に暮れたときも、唯一門戸が開かれていた桐朋学園大学の存在を日本の音楽関係者が教えてくれました。

禁じられた歌

 「何とか日本と朝鮮半島のかけ橋になろうと思っていた私に東京都の親善大使として初めてソウルで日本の歌を歌う役割が回ってきましたが、まだ解禁されていないというので、『夜明けの歌』を歌うことができなかった(1998年)。歌が禁じられたのはなぜだろうと朝鮮半島の歴史をひも解いてみると、日本の植民地時代に自分たちの文化や言葉が抑圧されたその痛みが根強く残っていて、まだ拭いされない思いがあったんだと学びました。でも『ブルー・ライト・ヨコハマ』はみんな知っていた、歌は不思議だなあと思います。そんな中で日本の歌のよさを吸収していた人たちが、その後Kポップを育てる力になっていったんです」2冊目の『禁じられた歌 朝鮮半島百年史』はそんな音楽研究から生まれました。

文化の力、歌の力

 02年、日韓ワールドカップの閉幕式翌日、首相官邸で催された金大中韓国大統領歓迎公演では、「オペラ好きの小泉元総理から首相官邸で歌う役割を担わされました。韓国からの芸能人もいる中でわたしが日本と韓国の歌を独唱した。そのときに思ったんです。どちらの歌も故郷の歌として歌えるのは、在日コリアンのわたししかいないんだ、がんばってきてよかったと」
 今回のコンサートの聞き所は「アリランメドレー」です。「会いたい人に会えなくて峠を越えて会いに行きたいという哀愁を込めた歌として知られていますが、朝鮮半島にはメロディーも歌詞も違うアリランが何百種類も。その地域ならではのアリランを味わってください」
 歌手生活30年を前に、「いま急速に韓国の文化を日本の人が受け止めていますが、昔じゃとても考えられません。文化の力、歌の力は、海峡も超えるすごい力があるんだなあと思いました。日本と朝鮮半島、ほんとうにむずかしい問題がまだまだ多いですから、微力ながら歌を通して力になっていきたいと患います」

「해협의 아리아」콘서트  소리 없는 소리를 알리고 전하고 싶다
일본과 한국의 가교로 되면서

최근, 국경부근이 떠들썩해지고 있습니다. 그러나 문제는 냉정히 이를 다해서 외교적 노력으로. 일본의 침략전쟁과 식민지지배에 의해
이웃나라의 사람들이 얼마나 괴로움을 맛본 것인가 …. 그 사실을 받아들여 반성 위에 서고, 서로를 더욱 이해하고 사이좋게 해나가고 싶습니다.
세계의 무대에서 오페라 가수로서 활약하면서, 노래로 한반도와 일본의 가교적 역활을 하는 재일코리안의 오페라 가수, 전월선씨의 생각은…

 

 


 

 

いままでのコンサートのアンケートより抜粋

 

「音楽は人の心を癒してくれます。遠き日のコーラスで学んだ歌を私の心の中で一緒に口ずさむことが今何より嬉しくて、ほのかな幸福を感じております。健康で輝いて歌い続けて下さいませ。歌を聞いて私の心も若返ってはずんでいます。私の生きる心の支えです。夜明けの歌、アリラン、心にしみて希望が灯りが心に温かく、歌は最高の宝物私の心で燃える。とても倖わせ、歌姫あなたに出会えて
久方ぶりです。機会がなくて今日此処に来れてチョンウォルソンさんの迫力ある力強い綺麗な唄声が聞けて感動しました。それぞれの皆様の唄にも感激しましたが、またこのような催しのあることを期待しています
素晴らしい歌の数々を有難うございました。田月仙さんの歌はこれまで何回か機会がありましたがタイミングが合わず、初めて直に聞かせていただきました。今後も日韓友情の架橋としてのご躍を期待し、応援しています。
驚くべき恵みの公演です。日韓両国の長い歴史の危険もわなもさけるこの夜。新しい歴史の友情永久に子孫に伝わる心の平和助け合い)公演が毎年定期的に開催されるよう大いに期待します。ありがとう。
すばらしい両国の友情のための熱演でした。カムサハムニダ!
韓国の歌が良かった。
大変に感動しました。又機会があったら是非聴きに来ます。本日は本当にありがとうございました。
NHKで田月仙氏の活躍を知り、本日生まれて初めてオペラを鑑賞しました。命が洗われました。幾つもの悲しみを乗り越えて、友情の輪が広がりますように。
歌に酔いしれました。今日のこの公演を楽しみに大阪から来たかいがありました。ありがとうございます。私も歌が好きな一人の人間としてこれからももっと練習にはげみたいと思います。そしてこういう舞台に立てる日を夢みてがんばりたいと思います。
大変よかった。ありがとうございました。
レベルが高い歌でしたね。とても楽しめました。
とても良かった。素晴らしい企画でよい。
素晴らしい演奏と歌声感激し感謝致します。有難うございました。
田月仙さんをはじめ、日韓の歌声と同様現実の日韓の友情がさらに深まることを期待させるコンサートでした。ありがとうございました。
普通の公演にはない、独特の熱気があり、楽しめました。
このような公演が実現して本当に嬉しく、この日の来るのを楽しみにしていました。又実現するの楽しみにしています。日本の曲もよく知られた素晴らしい曲ばかりで、今日のコンサートはあっという間に終わってしまいました。
今回の歌は初めてです。とても表現表情もよく、勉強になりました。歌い方も大変勉強になりました。
素晴らしい歌を楽しく楽しく幸せな一時でした
とても素晴らしい公演でした。このような公演がこれからもずっとずっと何度も何度も積み重ねられたらと思います。
日韓の素晴らしい歌を聞かせてもらった。こんなすばらしいのははじめてだった。
歌の選択OK。企画も良かった。とくに最後の方の合唱、農夫歌と舟歌が印象的。難しいリズムをうまく乗っていた。男性も少ない人数でよくぞガンバッた。
とても素晴らしかったです。!! チョンウォルソンさんのあまりの美しさに、目が離せませんでした。本当に夢心地になりました。
衝撃です。私は、貴方の歌声を聞いて、涙が止まりませんでした。何回も、何回も、貴方のあの曲を聞いて、涙しました。私は日本の地に生まれた極く普通の男ですが、貴方の肉体からにじみ出る痛恨の思いが、私には分かるのです。『高麗山河わが愛』聞きました、分かるといっても私には韓国の言葉はわかりません。しかし、貴方の歌声には、北の地で没したお兄さんの気持ちを思う心が、いやと言う程、感じられるのです。ましてや、お母さんの悲痛な気持ちを思えば当然とも思います。私は先日、貴方の特集番組を拝見させて戴き『高麗山河わが愛』を歌う貴方の姿に感動を致しました。人間のエゴから、国の体面やご都合主義で、私達、国民はいつも悲しい現実ばかり、どうにもならない思いばかりです。国を二分された悲しい、現実は、私達日本人には真から理解しているとは、思われません。
しかし、私は貴方の歌声から感じました血を吐くような思いが、未だ戦後60年の年になっても現存している現実を。お願いです。どうか『高麗山河わが愛』を日本語で歌って下さる様日本人として、もっと曲の中にある皆さんの心を理解したいのです。これからもお身体に気を付けてますますご活躍されることを心よりお祈り申し上げております。
ソリストそれぞれの歌声も素晴らしかったが、ソリスト全員と合唱団の歌声を聞き、国境、海を越えて一つになったと思えるほど圧巻で魂に響いてきました。言葉違えど、人としての心持ちは、すべて同じ。皆さんの幸せが永遠に(ヨウオウニ?)思わずにはいられませんでした。素敵な機会を与えていただきありがとうございました。
「故郷の歌」「浜辺の歌」「落葉松」「懐かしき金剛山」「夜明けの歌」「高麗山河わが愛」「故郷」
○旋律美しい。田月仙さんの歌(唱)には「思い」「想い」「心」「意志」「魂」がある、絶唱胸を打つ。万感の思いがあるのであろう。Bravo!
○朝鮮半島を日本が35年の長い間支配し、人々に大きい圧力を加え、差別し虐待した責任は大きい。「ラチ」「人さらい」の問題も加害者たる日本国が謝罪しない限り解決は無い。音楽は共通語、お互いの心が通じ合う、そして平和、愛岡野曲「故郷」叙情心にしみるBravi!
韓国の歌は半分以上知らないものでしたが、何かなつかしさを感じるものでした。似た国という感じです。
大変すばらしかったです。定期的な公演になり続いてほしいと想います。
プログラムの歌詞と美しい写真も良かったです。
15年前に日本に来てはじめて日本できいた韓国の歌にかんどうしました。田さんと大久保さんの歌声には本当に力がはいっていますね。すばらしいコンサートでした。(^0^)
大変感激しました。日本と韓国の歌の共通性に触れ改めて一体感を痛感致しました。この様な催し物が必ずや日韓の友好のかけ橋となることを信じてやみません。
非常に感動しました。聴きやすかったし、心地良かったです。ありがとうございました。
とても感動しました。ありがとうございました。
すばらしいの一言でした。今後もこんなコンサートを期待しています。日韓の幸がずーっと続くことを祈っております。
非常に良かったです。特に金恩珠がすばらしかったです。
たいへんすばらしく胸ふるえる想いでございました。ありがとうございました。ますます日韓が末永く友好であります様に! 
チョンウォルソンさんの声、最高に良かった。大久保さんのバリトンもすばらしい、うっとりしてしまう。
久しぶりに心が洗われる思いがいたしました。音楽もいろいろあふれるように日常ありますが、思い出にひたったり、涙が出そうになったり、本当にここに来られて良かったです。
○両国の合唱団の歌声の力強さに圧倒されました。祖国を思う気持ちが伝わってきます。
○ソロを歌う方々、一人一人個性がひかっています。
○アンコールに椿姫の「乾杯の歌」がうたわれ、うれしかったです。
すばらしかった。久しぶりに感動。日本の歌曲ことばと音の表現ちょうど良く感激した。羽山の歌をもっとききたい。日韓は本当は近いと思った。企画をありがとうございました。
実力のある日韓のオペラ歌手の歌声、両国の曲を聞けて素晴らしかった。
ふたりの海、いい曲ですネ。きれいで心洗われるすばらしい曲だと思いました。又聴きたいです。
歌(選曲も)も伴奏もとても良かったです。
素晴らしい公演でした。二つの国が、音楽を通じてしっかりと結びついているという感を深くしました。アンコールでラトビアータを皆が歌ったのは、特に素晴らしかった!!
とても楽しませていただきました。どうもありがとうございました。
歌詞の意味(韓国)はわからなくとも、胸に響くものがございました。更に50年をめざし、交流の文化交流の会が設けられますよう、ご尽力下さいませ。楽しみにしております。

金恩珠さんの音質と歌唱力に魅了されました。年配の方々により味わいと情感を感じ、きてよかった思いました。田月仙さんの120%の情熱にも感動しました。ありがとうございました。

出演者がそれぞれ持ち味うまく表現して楽しい夕となった。盛況をお祝いします。

 

 

 


 田月仙(チョン・ウォルソン)ソプラノ  Chon Wolson  sop

東京生まれ。世界各国でオペラやコンサートに出演。豊かな表現力とドラマティックな歌声で聴衆を魅了。NHKETV特集「海峡を越えた歌姫」が放映され全国に感動を呼んだ。日韓朝各国の首脳の前で独唱。W杯日韓共催記念オペラ「春香伝」日韓両国にて主演。ルーマニア国立オペラ団「カルメン」主演。東京オペラプロデュース「サロメ」「ねじの回転」ほか主演。TBS NEWS23「田月仙ライブ」「山河を越えて」、NHK「クラシックアワー」、KBS「日曜スペシャル」、MBC「成功時代」など日韓のテレビにも数多く出演。CD「山河を越えて」、著書「海峡のアリア」、「禁じられた歌」好評発売中。二期会会員。 
ホームページ www.wolson.com

 

朝岡真木子  作曲家・ピアノ Asaoka Makiko pf

東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。作品:女声合唱組曲「妖精模様」・女声合唱組曲「まほろばの大和し美し」・歌曲集「花筏」(全音楽譜出版社)、歌曲集「愛は光の中に」(音楽之友社)、歌曲集「紅芙蓉」(日本作曲家協議会出版)、朝岡真木子歌曲集1,2(創楽工房)、モノオペラ「人形の空」、オペラ「坦庵熱き心の火」オペレッタ「夫の宝物」等。
(社)日本演奏家連盟、(社)日本童謡協会、各会員。(社)日本歌曲振興会 理事。